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一二三さん

 投稿者:黄泉の楯  投稿日:2007年 7月 3日(火)21時15分25秒
  しんじられません。基金の方々の努力はな
んだったのでしょう。名誉や報酬を求めて
せっせと行ったことではないとはいえ、か
つては結ばれていた信用を切り捨て、悪魔
のうごめく祖国に戻るなんて。
おいそれと人を信用出来ず、善意がないが
しろにされてしまう世界は哀しいです。そ
ういう人を生み出した日本は、閉鎖的であ
り、厳しい差別が蔓延しているのです。そ
の犠牲者であると一二三さんはいえます。
つらいことですが、基金のみなさんは、助
け続けてください。
 

石川一二三さん記者会見の概要

 投稿者:ホワイトジャック  投稿日:2007年 6月27日(水)22時15分24秒
   下記の文は「帰国者の生命と人権を守る会」の三浦小太郎さんが送ってくださった、6月26日の北京での石川一二三さん記者会見の概要です。
ご紹介します。

私は日本に強制連行された朝鮮民主主義人民共和国の国民です。名前はドツウジといいます。
 私は1949年10月28日、日本の神奈川県川崎市で父・ドサングアン、母・石川みよ子の三女として生まれました。私は1960年、親と一緒に第48次帰国船で祖国のふところに戻りました。
 私がここで言いたいのは、又日本に行くことになった動機と又祖国に戻ることになった事情をお話しようと思います。
 私は2003年10月18日、悪い人たちに騙されて豆満江を渡りましたが、待機していた車に強制的に連行されました。数日後、瀋陽の日本領事館に入り、2週間たって日本に行くことになりました。こうして私は2003年11月21日、日本の千葉県松戸市で暮らすようになりました。
 子供を5人育てた親として毎日子供のことばかり考えていました。43年間、どんなに辛いことがあっても、子供たちから生きる力をもらい、笑いと幸福を感じました。96,97年は困難な時期も乗り越えましたが、子供たちと別れて暮らすのはとても耐えられないことだと感じました。子供たちと電話の時は、涙で始まり、涙で終わる感じでした。毎晩、涙で夜を送りました。子供たちと孫が幸せに暮らしているという話を聞くたびに、合いたい気持ちはもっと切実になりました。
 又軍隊経験を終えて、帰ってきた嫁の婿さんが●●(ここは聞き取れなかった模様)にはいった話を聞いて、早く帰ってその立派な姿を見たかったのです。
 一日でも早く子供たちのところに行きたい気持ちは一杯でしたが、中々決心がつかなかったのです。毎日憂鬱で、ぼおっとして、酒と睡眠薬で夜を過ごしました。まだ結婚していない子供たち、お母さんが日本に連れ去られ、心の傷を持って生きている運命、生きている限り、これでは駄目だと重い、とにかく帰ろうと思いました。そして、6月21日、成田空港に迎えに行きました。
 日本に行って3年7ヶ月暮らしながら感じたのは、子供のときに暮らしていた日本ではない、日本は変わったということです。今の日本は一つのアパートに住みながら、隣の人とも全然接触もないし、ドアを閉めたら、中に人がいるかいないかもわからない状態です。
 昔住んでいた故郷にも行って見ましたが、心は落ち着きませんでした。昔はお互いを理解しあいながら暮らしていたけれど、今の日本は冷たい、氷のようにつめたい感じでした。
 テレビで毎日報道しているのは殺人事件、ばらばら事件、親が子供を殺したり、子供は親を殺す事件、老人は一人ぼっちで死んで何日たっても人に知られもしない中、私もたった一人で監獄のような所で暮らしていて、何か起きたら、誰もいないこの国で子供にも会えないまま死んでしまったらどうしようかと思いました。それで、私はこんな生活は人間が生きる生活ではないと想い、3年7ヶ月、毎日、毎年、年をとるのも怖く、死んでも子供のそばで死にたいと想い、今日この場を作ってもらいました。
 日本で、ある人は北の子供たちを日本に連れてこないのかと聞きましたが、私は子どもをつれてくるのではなく、自分が帰るといいました。最期に私の人生で曲折多い体験をしながら、心の中で静かに唄っていた歌があります。うまくないのですが、ここで歌います。歌「曲折多い運命」北朝鮮映画『民族と運命』主題歌
 

脱北女性の「離反」

 投稿者:ホワイトジャック  投稿日:2007年 6月27日(水)22時02分6秒
  特定失踪者調査会の真鍋貞樹さんの下記のブログの一部をご紹介します。
http://nabesada.cocolog-nifty.com/

ある脱北女性とNGOメンバーの話

 今年に入って、ある女性脱北者がタイに脱出した。その女性を保護したのは、タイに拠点を置く韓国キリスト教会の韓国人牧師である。
 その女性は、北朝鮮に帰国した在日朝鮮人の娘で、多少の日本語を話すことができる。その女性は、まだ幼児の一人娘と一緒に脱北しようとしたが、中朝国境でまさに河を渡ろうとするとき、脱北を幇助した人物に「子供連れだと危ないから、子どもを置いていけ。安全なところに匿うから」といわれ、泣く泣く子供を置いて、中国に逃げ込んだ。それから、4年。中国国内で資金を集め、4000キロの逃避行の末、無事にタイに逃げ込んだのだった。 その女性は、親戚が日本にいるため、まず日本に行こうと考え、その親戚にタイから電話をした。ところが、その電話に出た親戚に自分の名前を伝えただけで、ガチャンと切られてしまった。途方にくれた彼女は、牧師に相談したところ、「米国に行ける可能性があるから、米国大使館に保護を求めてはどうか」と言われて、それに従った。
 その米国行きの手続きをしている最中、私と脱北者支援のNGOメンバーのKさんとたまたまタイで会うことになったのである。
 牧師の仲介で面接した時、彼女は「北朝鮮に残した娘を何とか探したい。八方手を尽くしたが、どうしてよいか判らない」と涙ながらに訴えたのだった。それを聞いた、NGOのKさんも、涙ながらに「なんとかしましょう」と答えた。
 それから、数ヶ月後、彼女は米国行きを許された。Kさんは、米国に渡ったその女性と何度も連絡を取り合いながら、調査をしていった結果、Kさんはその娘さんの保護に成功した。
 Kさんは、この娘さんの保護にあたっては全く無報酬である。それどころか、娘さんの保護の経費もほとんど自弁である。この話がマスコミに流れたことも、他の人にも知られたことはない。Kさんただ一人の思いで実行したものである。
 この事例から、私たちは何を学ぶべきだろうか。目の前に困った人が表れたとき、それを「何とかしましょう」と、約束することはとても大変である。多くの場合、「それは政府がやるべきことでしょう。そのために、国民から税金を取り上げているのだから」とか言って、お終いにするだろう。しかし、Kさんは違う。自分の力でやり遂げたのである。(以下略)

脱北女性の「離反」

 やるせない思いとはこんなことを言うのだろう。2003年に脱北し、日本に居住していた女性が、再び北朝鮮に戻るという。その理由が、本人の弁だと「日本は親も殺す恐ろしい国」とのことだし、北朝鮮当局にとっては「日本がこの女性を拉致した」ということだそうだ。
 今更、北朝鮮当局のウソや欺瞞に驚くこともない。ただ、やるせないのは、この女性をを含めて、命がけで脱北に協力している人たちのことを思ってのことである。御馴染みの北朝鮮人権問題に関わるNGOの人たちにとって、一人を脱北させるために、どれだけの苦労と、危険と、そして経済的負担をしていることか。 彼らは、それで何ら経済的利益を受けるわけでもない。社会的な知名度が上がるわけでもない。裏舞台での活動だけに、表立って活動を喧伝することもできない。ただひたすら、人道的な問題として、脱北者の保護に取組んでいるのである。
 彼らにとって、こうした脱北者の「離反」も折込済みのことである。脱北者のすべてが善意の持ち主で、日本社会で密やかに暮らしているわけではない。ウソもつくし、人を騙したりもする。しかし、それらをすべてひっくるめて、人道問題として、この脱北者の保護にあたっているのである。(中略)
 こうした脱北者の「離反」は、平島筆子さんの北朝鮮への帰国で、再び起こることが予想されていた。だからこそ、NGOのメンバーは口をそろえて、脱北者への支援を政府に要請してきたのだが、全く実現していない。その結果が、今回の「離反」の背景にあるだろう。 この事件で、「やはり、脱北者保護なんて必要ない」というように思わないでもらいたい。脱北者の中には、真剣に物事を考え、悩み、苦しんでいる人も大勢いるのである。そして、何よりも、程度の差はあれ、脱北者が北朝鮮に関する多くの情報をもたらしてくれるのである。彼ら保護し、支援をしておくことは、彼らのためでもあるし、日本のためでもあるのである。(以下略)
 

北朝鮮に帰る脱北者について

 投稿者:シンヤ  投稿日:2007年 6月27日(水)14時34分22秒
  石川一二三さんを支援したきた者として、今回の北朝鮮への帰還について、感想と反省を以下に述べさせて頂きたいと思います。ただ、一二三さんには私だけではなく、様々な人が支援をしてくださいました。ここに書くのはあくまでも私個人の感想で、私よりもはるかに多くの支援をしてくださった方々とはまったく関係のないことです。

健康な人に医者はいらない、と言われる。私の知る脱北者は、大なり小なり心に傷を負っていた。ただ、誰もが医者になることができないことも事実だった。しかし、医者にはなれないとしても手を伸ばすことはできたように思う。

だが、手をのばすということにも誤解があったようだ。大きな恐怖から逃れるが先決で、日本に帰れれば死んでもいいと思っていた人もいた。日本に着いたあとのことなど考える余裕などなかったようだった。傷ついた人には癒しがまず必要なのに、自立が目標であるかのように思っていた。自立できない人は、漠然と本人に問題があるではないかと思った。癒しの問題は社会に適合する日常の中で自然と解決されるのではないと勝手に楽観していた。

私はなぜか、彼女が大きな悲しみをかかえて北朝鮮に帰っていたように思う。その悲しみは、理解されない絶望だったように思う。

家族と引き離されることは非常に辛いことのようだ。そして、その家族が自分よりも恵まれておらず、自分だけが日本でぬくぬくと生きていることに、とからといって、十分に援助をできる境遇にはないことに、毎夜どうしても思いがいってしまう。そして、恒常的に不眠症のような状態になっていく。これに対して私は何もできなかった。彼女も私に理解を求めなかった。

このように脱北者は孤立する場合がある。誰にも分かってもらえないのだ、と。そして、自分の境遇に似た脱北者だけとしか付き合わなくなっていき、怒りが先鋭化する。

キリスト教には「傲慢の罪」という概念があるそうだ。私はどうもそれに当たるのではいかと思っている。心の問題に近づこうとせず、相手に近づくことができる時に、いつも自分に言い訳をしてそれを回避していたように思うから。もっと話す機会をもてばよかったと後悔している。
 

やましい心を越えて

 投稿者:黄泉の楯  投稿日:2007年 6月27日(水)09時29分20秒
  やましい心をもつ人々は、そのや
ましさをごまかすかのように、き
つい態度をとることがあります。
みなが幸せになることに一体なん
の不満があるのかわかりませんが
こればかりは人の心のこと、とら
えようがありません。しかし今ま
で皆さんのやってきたことは全く
すばらしいことであり、それをし
ようとした決意、行動力、忍耐は、
ろくでなしの戯れ言なぞ跳ね飛ば
してしまうでしょう。これからも
くじけず頑張ってください。
 

地球市民の共存共栄を

 投稿者:黄泉の楯  投稿日:2007年 6月27日(水)08時29分28秒
  おおよその予想どおり、久々の事件に釣ら
れて荒らしがやってきたようですが、彼ら
は何が楽しいのでしょう。人が幸せをその
てにつかもうとするのをどうしてうらめし
く思うのでしょうか。脱北者の境遇は日本
の市民にとって他人事ではありません。
すべての地球に住む人々は共存共栄して助
けあっていかねば、つけは自分に戻ります。
だから、自分を助けるつもりで難民を助け
ようと思ってみてはどうでしょうか。いか
ばかりかの助力によって、幸せがめぐるの
かもしれません。
 

『金日成のパレード』 東欧の見た"赤い王朝"

 投稿者:ホワイトジャック  投稿日:2007年 6月25日(月)18時49分2秒
  北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会関西支部からのお知らせをご紹介します。

 この映画『金日成のパレード』はたしか、北朝鮮政府の要請によって撮影されたものだと思います。
 日本での初封切は単館のみで、私も小さな独立系映画館で見ました。まだ北朝鮮の飢餓が世界に知られる前で、「アリラン祭」の原型ともいえるのではないでしょうか。

 上映中は全体主義のグロテスクさ、時代錯誤さに、しばしば失笑が起こったことを思い出します。私はナチス党大会のドキュメンタリー映画「意思の勝利」の画面もオーバーラップして、重い気分になりました。


『金日成のパレード』 東欧の見た"赤い王朝"
あなたを「北朝鮮」にご招待します!!

7月7日(土)  PM13:30〜
大阪経済大学 (B22教室)
 ■大阪経済大学へのアクセス
  ◇ 阪急京都線 上新庄駅より徒歩約15分
  ◇地下鉄今里筋線 瑞光四丁目駅より徒歩約2分 (2006年12月24日開通)
  ◇市バス「大阪経大前」下車すぐ
     〒533-8533 大阪市東淀川区大隅2-2-8
     TEL:06-6328-2431(代表)

当日は、実際に北朝鮮で数々の式典、パレード参加者を指揮し、マスゲームや踊りの教官をやってこられた、脱北者・千葉優美子さんの解説もあります。また、優美子さんはアメリカ議会での証言もされ、その報告も発言していただく予定です。

[原  題] Defilada
[製作 国] ポーランド
[製作 年] 1989年
[監   督] Andrzej Fidyc (アンジェイ・フィディック)
[ナレーション] 佐藤 慶
[解  説]
 1988年、ソウルオリンピックが開催されたころ、その向こうを張って1989年7月、ピョンヤンで開かれた建国40周年記念式典の模様を、当時東欧の一員だったポーランドの監督が撮影、劇場公開したドキュメンタリー映画。1989年にはライプチヒ国際ドキュメンタリー映画祭グランプリを受賞。
 ドキュメンタリーと言っても、作者の演出や作為はまったく感じられず、あくまでも映画スタッフたちが見たもの(見せられたもの)をただただ忠実に伝えようとしてる。
 延々と続く行進、踊り。この映画は何も教えようとはしないし、どんな答えさえも示さない。しかしそれが返って恐い。必見である。

主催:北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会  関西支部
連絡:TEL/FAX 072-990-2887
 

「やまつみの声」、「テクノ助」さん

 投稿者:管理人  投稿日:2007年 6月 7日(木)19時58分55秒
   今回の青森に漂着した4人の脱北者に関して「やまつみの声」、「テクノ助」などのハンドルネームで投稿し、それに対して今度は「管理人」のハンドルネームを騙って答えるという、マッチポンプ式の荒らしが数日前から行われています。

どの人物が行っているのかもわかっています。あなたの投稿は見つけ次第、すべて削除します。
 

4人の脱北家族に幸あれ!

 投稿者:ホワイトジャック  投稿日:2007年 6月 3日(日)17時24分35秒
   1987年、北朝鮮から金萬鉄氏一家(たしか11人?)がズダン号にのって、韓国亡命を求めて日本の港にやってきたときのことを思い出しました。

 あの時はいろんな政治的思惑のため、彼らを直接韓国に送ることができず、彼らは台湾に一時受け入れてもらって、その後韓国に行かれたように思います。そのころに比べると格段に状況が変化しています。

 当初、今回の家族4人は元帰国者の係累の方たちかと思いましたが、報道によると日本に知人はいないということで、韓国への亡命を希望し、韓国政府も受け入れるとのことです。とりあえずよかったですね。今後、苦しいことも多いでしょうが、彼らに幸あれといのりたい。
 

北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会の緊急声明です

 投稿者:沢村圭一郎  投稿日:2007年 6月 3日(日)07時23分58秒
   お世話になってます。「声よ届け、波濤の彼方に!」掲示板に守る会代表の三浦さんが緊急声明を貼ってくださいましたので、転載します。

緊急声明
日本国総理大臣
安倍晋三 殿

日本政府は青森県に到着した脱北者を難民として保護し、
彼らの希望する国への定住を実現してください

 昨夜、脱北者とみられる4人が、青森県に船で漂着したと報道されています。
 彼等がどのような事情、経過により青森県に到着したかは分かりませんが、現在の北朝鮮政府の抑圧体制から逃れてきた難民であることは、ほぼ間違いないと思われます。日本政府は、昨年7月成立した「拉致問題その他北朝鮮当局による人権侵害問題への対処に関する法律案」(北朝鮮人権法)第6条第2項「政府は、脱北者の保護及び支援に関し、施策を講ずるよう努めるものとする。」の精神に沿って、彼らを難民として保護し、彼らの行動の経緯と事情、目的を詳しく調査すると共に、彼等が希望する国に定住することができるよう、人道的な保護と支援を行っていただくよう、ここに強く要請いたします。

北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会 ホームページ
http://homepage1.nifty.com/northkorea/
代表 三浦小太郎
E-mail:miurakotarou@hotmail.com
2007年6月2日
 

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